
キリストの12使徒の一人で、アマルフィの守護聖人である聖アンドレアに献じられたドゥオモは、その構造や建築様式にかつて交易のあったビザンチンやイスラムの影響を色濃く反映しており、アマルフィの宗教的、文化的な歴史を今に伝える貴重な建築物です。
初期の建築は、現在はドゥオモ博物館おtなっている旧聖堂部分です。これは西暦833年以前に遡るアマルフィ最初の聖堂として、さらに古い初期キリスト教会の基礎上に建てられました。
987年、この聖堂の向かって右側に現在の主身廊が建てられ、旧聖堂とつながることになり、6つの側廊を持つ特異的な大聖堂が誕生しました。13世紀に聖アンドレアの遺骸を納めた地下礼拝堂の増設と前面のアトリウムを含めた拡張工事が行われました。鐘桜は1世紀近い期間をかけて1276年に竣工しました。同じく13世紀には、大司教フィリポ・アウグスタリッチョによりアマルフィの富裕層のための墓所として、天国の回廊が旧聖堂の左手に増設されました。
反宗教改革時代の16世紀には、トレント公会議の結果、それまで新旧2つの聖堂が一体化していた構造を取りやめ、それぞれが分離したバロック様式に全面改装が行われました。旧聖堂内部は漆喰が塗られてイスラム色が完全に消し去られました。しかし、1931年以降、60年の歳月をかけてバロック様式の改装部分が取り除かれ、再び本来のロマネスク様式が復元されることになりました。
ファサード…アマルフィの景観を代表する現在のファサードは、1861年に崩壊s多バロック様式のものに変えて、1891年に新しく作られたものです。ファサードの破風には、ドメニコ・モレッリの手によってヨハネ黙示録に由来するキリストとその前にひれ伏すものたちの姿が描かれています。ファサードの下部にはゴシック様式の壁がんに12使徒がそれぞれ描かれています。
アトリウム…正面の大階段からつながるアトリウムは、13世紀に増築されました。正面は、ムーア様式のアーチが大理石の細い柱に支えられた美しい構図をなし、内壁は二色の凝る灰岩のブロックで造られています。内部の壁には、モレッリの弟子であるパオロ・ヴェトリによるキリストと聖アンドレアを示す福音書の場面のフレスコ画があります。
大聖堂…総統マンソーネ1世によって987年に建てられた大聖堂。当初は内部の円柱で仕切られた3廊式の構造でしたが、旧聖堂と接続することにより、6つの身廊を持つ広大で独特の構造となりました。現在の建築は18世紀はじめに、バロック様式に改装されたものです。旧聖堂との間は仕切られ、身廊を支えていた円柱は色鮮やかな大理石で覆われた角柱に置き換えられました。
内陣の中程にはドゥオモの拡大と市街整備に大きく貢献し、目抜き通りにもその名を残す枢機卿ピエトロ・カプアーノの石棺を納めた祭壇があります。左右の側廊には10の小礼拝堂があり、17〜18世紀の宗教画と様々な時代の大理石や木製の彫像が配されています。地下礼拝堂にはコンスタン地ノープルから運ばれた聖アンドレアの遺骸が納められています。
旧聖堂…9世紀に遡るアマルフィ最初の聖堂で、聖母マリア、聖コズマとダミアーノに献じられました。当初は三廊式でしたが、天国の回廊を建設するために山側の側廊は取り壊され、中央の広い身廊と海側の側廊が残されています。聖堂内部はドゥオモ博物館となっており、聖堂に関する歴史資料に加えて大司教アンドレア・デ・パレアレアの遺体を納めた大理石の石棺が展示されています。
反宗教改革の時代には旧聖堂は改名され、大聖堂から分離されバロック様式に改装され、イスラム的要素が徹底的に排除されました。しかし、1931年に往時の姿への復元を目指して修復が開始され、60年の歳月を経て再び元の建築様式となりました。